先週から高校サッカー選手権大会の県予選が始まりました。各年代で上位大会につながる県予選も行われています。当クラブ出身のOB&OGたちもそれぞれの高校で全力を尽くしてくれていることと思います。

先日、ジュニアユース(中学生チーム)では、高円宮杯県大会1回戦を戦いました。残念ながら、負けてしまいまして、今シーズン最後の公式戦が終了しました。

毎年、この中学サッカーの「終わり」を迎えるのですが、この数年間は、いつも考えていることは変わりません。今回は最後の公式戦について私が思うことをお伝えしようと思います。


最後の公式戦というけれど…

ジュニアユース中学3年生にとって、最後の公式戦…それぞれが自分の力を出し切って、勝利を目指します。優勝を目指して次の上位大会進出を目標にするチームもあれば、1試合ずつ勝利を目指して1試合でも多く試合経験を積むことを目指すチームもあると思います。最後の公式戦に対する目標やモチベーションはチームの数だけあるのかもしれません。

毎年、3年生たちには、最後の公式戦で全力を尽くそうという話をしていく中で、3年生たちの思いを大切に、試合に向かえるよう、できる限りのサポートをしようと心掛けています。3年生を中心に、下級生も巻き込んで、チーム全体の士気が高まるようにと考えています。

その一方で、私自身が必死になりすぎて周りが見えなくならないようにと、冷静な自分がぶれないように、私自身の心を整えながら、試合に向かうように心掛けています。

これは、中学3年生最後の大会だと私自身も必死になってしまい、若い頃に大失敗をした経験があったからです。


試合は、子どもたちのものである

私が毎年1つだけ決めていることがあります。

それは、「子どもたちの邪魔をしない」ということです。こういう言い方をすると、ネガティブに感じられるかもしれませんが、そういうつもりはありません。

これは、当時の子どもたちには本当に申し訳ない、苦い経験があったからです。

もう10年以上前のことになりますが、高円宮杯県大会を3年連続準優勝していた時期がありました。決勝戦で勝てないことなどから、私自身が勝手にプレッシャーを感じてしまったり、自分の中で「勝たなければならない…」と思い込んでしまったりしていた時期がありました。

その中で、試合に勝つためにチームの約束事を必要以上に徹底しすぎたり、その試合までに練習していないやり方を急にその試合で勝つために取ったりしていました。その当時は、「ベンチ主導」が過ぎる状況だったと思います。すると、子どもたちは「やらされている」感が非常に高くなり、やりがいもないし、楽しくもない…おまけに、ちっともうまくならないから、サッカーを続けない子どもたちが多くいました。そして、最も重要なポイントは、勝っても負けても自分たちの責任感をあまり感じることができないという点だと思っています。だから、後の個々の成長にもあまりつながっていなかったと実感しております。

そもそも私が指導者になったのは、自分自身も上記のような経験をしてモヤモヤした気持ちを感じたことがあったことが理由の1つです。だから、自分と同じような思いをする子どもたちを1人でも減らして、サッカーを長く続けてほしいと願い、指導者になろうと考えた経緯がありました。それなのに、自分と同じ思いをさせてしまったことは、今でもとても後悔の残ることです。当時の子どもたちには、私の至らなさで申し訳ないことをしたと思っています。

今でも思い出すと後悔の念がこみ上げてくる苦い経験から、私は変わろうと積み重ねてきました。まず、大前提として、試合は子どもたちのためのものであるから、子どもたちのサッカーの邪魔をしないこと、その上でできる限り子どもたちの成長の役に立つためには、自分はどう行動したらよいのかを考えるようになりました。


練習試合であろうが、公式戦であろうが、子どもたちには試合でも成長してほしい!

私が小学生、中学生の指導者として、1番目指していること、大切にしたいことは、子どもたちが自らの意志で「この先もサッカーを続けたい!!」と心から思い、サッカーを続けてくれることです。そのためには、サッカーが上達しないとそう思いませんし、精神的にも成長しないとサッカーを続ける意志につながっていかないと考えています。

そのために最も重要なことは、練習試合であろうと、公式戦であろうと、子どもたちが成長することを目指して行動していくこと、だと考えています。シーズンの中には、残留決定戦など何としてでも勝ちきらなければならないという試合もありますが、可能な限り「勝負」の中でも成長していくという視点を忘れないように心掛けています。

試合で成長していくためには、やはり、試合中に子どもたちが自分たちの意志で「チャレンジ」し続けることだと思います。

その「チャレンジ」には(現在のところ)大きく2種類あると考えています。
① その試合で相手に勝つために必要なこと
② その試合までに積み重ねてきた自分の課題や目標とするプレー
の2つではないかと考えて、試合に挑戦しています。


試合で相手に勝つために必要なこと

よくまずは「自分たちのサッカーをやる!」という話を聞くことがあります。しかし、「自分たちのサッカー」ができるのは、多くの場合が自分たちが相手よりも勝っているときの話です。相手のと力関係が拮抗していれば、自分たちのサッカーができる時間帯がつくれたり、相手のサッカーの時間帯になったりして、お互いがやり合うような展開になることが多いと思います。また、相手の方が力が上であれば、自分たちのサッカーができる時間がどうしても少なくなると思います。

つまりは、サッカーにはいつでも「相手がいる」ので、自分たちの思うようにはならないのです。逆に、「相手がいる」からこそ、思い通りにならない状況をいかに自分たちの思い通りにもっていくのかというチャレンジができるのです。そこがサッカーのおもしろいところの1つだと考えています。相手のプレーをいかに上回り、自分たちの思い通りのプレーができるか?ということに挑戦していくからこそ、自分たちの成長につながると考えています。

つまり、試合に勝つためには、自分たちはどう行動するのがよいのかを自分たちで決めて実行していかなければならないということです。

自分たちがヘディングが苦手でも、相手がロングボールをたくさん蹴ってくれば、それをがんばってヘディングで弾かなければなりません。守備が好きではなくでも、相手の方が強くてパスをつないでくるのであれば、がんばって走ってしっかりと守り、ボールを奪わないことには勝つというところまで、試合を持っていくことはできません。

この「相手に勝つために必要なこと」には、
(1)チームとして「今日は○○をしっかりとやり続けよう!」というチーム全体の目標設定(実行の決断)
(2)個人として「今日の試合では、これにチャレンジし続けよう!」という個々の目標設定(実行の決断)
の2つがあると思います。そして、試合に入る前に、(1)や(2)を設定していたとしても、実際に相手と対峙する中で、ゲーム中に変更することもあると思います。また、選手たち自身がコミュニケーションを取り合い、自発的に変更することもあるかと思っています。

いずれにせよ、ここにチャレンジしていくことによって、できることが1つ増えることにつながりやすいと感じています。そして、プレーがうまくなることもあるのですが、それ以上にここへのチャレンジによって、精神的に成長した姿を感じることが多いです。

なぜかと言うと、相手の存在のおかげで、相手を上回らなければ勝つことができない状況のおかげで、「自分がやりたくないことや望まないことにもチャレンジしなければならない」状況が生まれるからだと考えております。

ここで、「自分はやりたくない…」とか、「自分にはできない…」とあきらめてしまい、「自分は楽したい」とか、「自分さえよければいい」という幼さが出てしまうのか?

それとも、ここでぐっと自分を整えて、難しい状況にもくじけることなくチャレンジし続けることができるのか? どちらのような行動ができるかによって、精神的な部分の成長度合いがぐっと変わってきます。精神的に成長していくには、「効力予期の自信」が1つヒントになると考えています。そして、この「効力予期の自信」を育てていくには、以下の「試合までに積み重ねてきた自分の目標や課題となるプレー」、つまりは日々の取り組みが重要になってきます。


試合までに積み重ねてきた自分の目標や課題となるプレー

先日の試合では、パスカットでボールを奪うプレーに自信を持ってやり続けていた選手がいました。彼は、練習のときから、献身的に守備を人一倍がんばっていました。その中で特にパスカットでボールを奪うプレーにこだわり、常にパスカットをねらっていました。これは、大会直前の練習からではなく、もっともっと前から継続して自分で決めて取り組んでいました。彼は、夏休み頃の試合では、パフォーマンスが低く、他の選手とスタートメンバーを競っていました。その中で、危機感を感じて、自分で「パスカットを積極的にねらおう!」と課題設定をしたようでした。それを練習でも練習試合でもリーグ戦でも、ひたすら意識してプレーし続けた結果、習慣となり、自分の特徴になり、チームに貢献できるプレーの1つになりました。

パスカットができるようになったことは当然素晴らしいことですが、注目すべきはそこではないと私はとらえています。この素晴らしいパスカットプレーができるようになるまでに、何度チャレンジしたかということ、そして何度失敗したかということです。人一倍積み重ねて、パスカットが「できる」に近づく過程で、失敗から学ぶことを身につけながら、「どんな状況でも自分のベストを尽くす」というぶれない自信を手に入れたということこそ、注目すべきポイントだと考えています。

こういう取り組みを自らの意志でできる子どもは、目の前の試合の結果に左右されることなく、成長していきます。試合に勝とうが負けようが、自分のベストを尽くして行動するので、必ず成長していきます。一方、目の前の試合の結果ばかりを気にしている子どもは、相手にリードされるとどんどん焦ってきて自分の力を発揮できなくなります。その結果、試合で成長することにはつながらないどころか、チームに貢献することがほとんどできません。なぜこうなってしまうかというと、日々の練習の中で、自分で決めたことに取り組み続けていないからだと思います。コーチから言われたことをやっておくだけでは、本当の意味での成長にはつながらないのだと思います。

そういった意味で、いかに日々の活動から子どもたち自身が自分で決めたことをやろうとしているのか?ということは大切にしていきたいと考えています。


子どもたちのがんばりを台無しにしないために

もう1つ、気をつけていることがあります。それは、審判の方のジャッジに対して「一喜一憂」しないことです。

私も人間ですので、自分たちに有意な判定をしていただければ「ラッキーだ!」と思いますし、不利な判定をされると「なんで!?」と不満に感じます。若い頃には私の幼さ、未熟さで言動に出してしまった苦い経験もありました。そのとき感じたのは、ジャッジに対して反応したときにはすっきりしますが、後から「何であんなことを言ってしまったのだろう…」と後悔したり、「自分は何て情けないのだろう」と後ろ向きな感情を感じたり、審判をしてくださった方に申し訳ない気持ちとが入り混じり、マイナスしかなかったです。また、子どもたちも私の姿を見て、「コーチがやっているから自分たちもやっても構わない」とまちがったことが伝わってしまいました。この失敗から学び、自分自身の考え方や行動を改め、少しずつ変わるために取り組んできました。

ですので、ジャッジに対しての感情は持たないよう、できるだけぐっとこらえて、さっと気持ちを切り替えて次のことに向かうように習慣づけています。自分が整っていなくてなかなか切り替えられないときは、我先に「次、次!!」とか、「切り替えよう!!」と子どもたちに声をかけながら、自分に問いかけています(苦笑)。

審判の方のジャッジに対して、「アピール」することもほぼしません。

ここには、自分の中で決めていることがあります。それは、子どもたちも私も試合で成長するために、人や周りのせいにしないということです。ジャッジに対して、不満を口に出したり、異議を唱えたりするということは、もうその時点で「人のせい」、つまり「審判の方のジャッジのせい」にしていると考えています。「人のせい」や「周りのせい」にして、自分に矢印を向けないような行動は、自分の成長にはつながりません。

アピールすること自体は悪いことではないと思います。しかし、アピールをしているうちに、だんだんと「人のせい」になっていくのを感じるので、私はアピールもできる限りしないようにしています。

そして、何よりも子どもたちが全力を発揮してプレーしようとしているのを、台無しにしたくないという気持ちが強いです。子どもたちがフェアにプレーしているのを、私の言動が邪魔をして、子どもたちをよくない方向に導いてしまうのは、私が望むことではありません。

何よりも子どもたちの成長につながるように!を考えて、子どもたちのフェアプレーを引き出し、全力を引き出したいと考えています。その上で、相手の全力を引き出し、それを上回るパフォーマンスを発揮していきたいです。だから、相手の存在も大切にしていきたいです。試合に全力で取り組んだ結果、相手を上回るものを出せれば、勝利がついてくると思います。何の「せい」にもせず、子どもたちの成長のためにできる限り役立ちたいと考えると、私が子どもたちのがんばりを台無しにするような行動をしないようにしたいと思っております。


最後の公式戦について思うことのまとめ

私自身、まだまだ未熟なところがありまして、できていないことや足りないこともあります。しかしながら、私が一緒に活動している小学生や中学生は、まだまだ先がある、将来がある子どもたちです。

将来がある子どもたちに対して、大切にしたいことは、自分が好きなサッカーをできるだけ続けてほしいこと、楽しんで続けてほしいことです。高校サッカーになると、いろいろな現実が突きつけられてくるということもあります。大人に近づいていくにつれて、きれいごとではすまないこともわかっているつもりです。それでも、子どもたちが自分なりのサッカーとの付き合い方を考えて、苦しい経験の中にもやりがいや楽しさが見出せるようになってほしいと願っています。

大前提として、試合には相手があり、「勝ち負け」をコントロールするのはとても難しいことです。しかし、自分の「成長」、自分たちの「成長」は、「勝ち負け」に比べればコントロールできると考えています。

それをわかった上で、「勝ち負け」を楽しみながら、自分の「成長」を目指して取り組んでいくことによって、サッカーとの関わり方も変わってくるのではないでしょうか?

サッカー指導者として、最後の大会が終わった…「勝てなかったからもうサッカーはやめる」、「最後の大会が終わったから引退する」という子どもたちの姿は何ともさみしい気持ちになります。

私は高校受験のときは、勉強しながらサッカーの練習をしたり、サッカーで遊んだりしていました。しかし、大学受験のときは、「引退した」と自分で決めて大学受験に向けて勉強をしようと決めました。でも、時間はたくさんあり、結局は友だちと遊ぶ時間に使ったり、自分の自由時間に使ったりと勉強時間になったわけでもありませんでした。本当は「もうこれ以上うまくならない」、「もうサッカーはあまりおもしろくない」と感じてしまったからです。

今戻れることなら、もう少しサッカーがやりたかったな〜と後悔している自分がいます。

そんな経験をしたから、私は子どもたちの最後の公式戦で思うのだと思います。「最後ではないよ〜」と。

子どもたちにとっては、集大成となる最後の大会です。子どもたちがその大会に、その試合にかける気持ちは大切に尊重したいです。しかし、一方で大人は冷静に子どもたちのこれまでの積み重ねとこれから先の景色を見つめなければならないと感じています。

プエデでは、「引退」はありません。勉強とサッカーが両立できる子どもたちは、最後の大会が終わっても練習に参加します。逆に言うと、高校生になったら勉強とサッカーは両立できないとやっていけません。学校によっては、テスト休み明けに、体力テストや走力テストがあったり、練習試合があったりする学校もあります。

強制ではなく、「やりたい!」、「続けたい!」という「やる気」の高い子どもたちがいつでも取り組めるような環境づくりを大切にしていきたいと考えています。実は、大会が終わってからの6年生、中学3年生が1番成長します。これは20年間の子どもたちの姿から見つけたこと、学んだことです。

今回の記事が、誰かの役に立てますことを願っております。