私は、本当に幸運な人間だな〜と思います。それは、人との出会いに恵まれたからです。

私が出会わせていただいた方々から、「『自分』を成長させるために行動し続けること」の大切さをたくさん教えていただきました。

そんな出会いから、「自分も成長し続けることのできる人間になりたい!」と思うようになっていきました。そして、だんだんと人の役に立つことが自分にとってのやりがいであり、生きがいであると感じるようになってきました。

今回は、「自分」を成長させるための考え方について整理してシェアさせていただきたいと思います。これは、私が出会わせていただいた方々から学んだことや子どもたちと関わっていく中で学んだことです。

これを記事にすることによって、みなさまのお役に立てればとてもうれしいです。



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「『自分』を成長させるための考え方②」「まねる」


「〜のせいにしない」という考え方

一般的に、何かの「せい」にすることはよくないことは、ほとんどの方がわかっておられるでしょうし、そう思っておられることだと思います。しかし、これを日々実践できているかというと、多くの方が頭をかかえてしまうのではないでしょうか?

私もこの「〜のせいにしない」ことをなかなか実践できないでいました。

若い頃は、練習や試合がうまくいかないのが自分のせいであるにもかかわらず、それを素直に受け止めることができませんでした。子どもたちが話を聞いていないとか、理解していないせいにしてしまったり、タイミングがたまたま悪かったと言い訳をつくってしまったりと、「〜のせいにして」ごまかしていました。本当に情けない姿だったと反省しています。

今でも、妻との間で買い物を頼んだつもりがうまく伝わっていなかったことを妻のせいにしてしまうことがあります(汗)。

ここではっきりしておかなければならないことは、「〜のせいにして」相手に責任の矢印を向けたり、外に責任の矢印を向けたりすると、その時点で自分の責任がなくなる(薄まる)ということです。つまり、その時点で「自分」自身に矢印を向けないので、自分が変わるチャンスがなくなる=「自分」を成長させるチャンスが消えるということになります。


「〜のせいにしない」が腑に落ちたエピソード

現在、スペイン1部リーグのレアル・ソシエダに所属、日本代表でも活躍している久保建英選手がU-16日本代表としてプレーしていた頃の話です。インターナショナルドリームカップ2016が鳥取で開催され、そのプレーぶりを見ることができました。

そのU-16日本代表の監督をされていた森山佳郎さんがある講演会でお話しされていたことを聞いたときにはっとしました。

日本代表で、選手たちの技術のレベルを突き詰めて上げていく際に、敢えて「クレーのピッチ(土のグランド)」で練習をしたり、試合をしたりするというのです。クレーのピッチでは、石が落ちていたり、少しくぼみがあったりして丁寧にゴロボールをキックして転がしても、イレギュラーバウンドでボールが跳ねてしまうことが結構あります。

そんな中でも、「本物の技術」を持っている選手はイレギュラーボールも正確にコントロールする(止める)ことができるはずだと選手たちに高い要求をしていくそうです。また、キックが本当にうまい選手は、土のピッチでも芝生と同じゴロボールを正確にキックできるはずだと言われ、「本物の技術」の追究する意識がものすごいということを学びました。

そして、これはアジア予選のアウェーの地で、ボコボコのグランドで試合をすることがあるかもしれない…それでもパスをつないで味方同士で関わり合う日本のサッカーをして勝ち切らなければならないと、世界大会への出場権を獲得することができないところから逆算されたものであることを教えていただきました。

この話からの学びを得て、早速自分の周りの環境を見直しました。例えば、雨の日のピッチではボールが転がりませんし、キックが飛びません。しかしながら、本当にボールの芯をしっかりと捉えてキックができる選手は雨の日でも変わらないキックの技術を発揮できます。そのことを子どもたちと共有して活動に取り組んでいきました。すると、子どもたちはそれを理解して、少しずつ自分なりに「本物の技術」を求めて自分を変え始めました。

その姿から、「〜のせいにしない」と自分と約束すること、決めることで、「自分」をより成長させることができるということを学ばせてもらいました。

そして、そんな姿を見て、私自身も「〜のせいにする」ことを少しずつ変えていきたいと思うようになりました。



「負け」を認めることは、負けではない

人間は、自分から「負け」を認めたり、「失敗」を認めたりを誰もが好んでしたがらないのではないでしょうか?実際、私もそうでした。

しかし、「負け」をごまかしていたり、「失敗」をごまかしていたりすると、なかなか次に進むことができないのです。つまり、「負け」を認められないのが本当の「負け」であり、「負け」たままで終わってしまうのです。「失敗」を認められないのが本当の「失敗」であり、「失敗」のままで終わってしまうのです。

だから、私はできるだけ素直に「負け」や「失敗」を認めようと意識して行動しています。

目の前の試合に「負け」ることや、目の前のことに「失敗」することは、当然くやしいですし、できれば経験したくないことです。しかし、目の前のことをごまかして、その先の、もっと先の「勝ち」や「成功」につながるチャンスを逃してしまうことの方が私は嫌です。

もっと突き詰めると、「勝ち」や「成功」よりも、「成長」し続けたいという気持ちの方が私には強くあります。だからかもしれませんが、目先のことがあまり気にならなくなりましたし、目先のことにとらわれてしまうこともかなり減りました。


私自身の実践

現在は、試合の際に自分で実践し続けていることがあります。それは、審判の方のジャッジに対して「一喜一憂」しないということです。

よく育成年代の講習会や各年代の会議などで、「審判の方のジャッジに対して、過度なアピールや不満を口にするのはやめましょう!」という呼びかけや「試合中に審判へクレームを言うのはいけない」という注意喚起があります。上位大会につながるような公式戦になればなるほど、その傾向は強くなると感じています。

しかし、私はよくないことだから言わないというところからもう1歩踏み込んで、子どもたちも自分もより成長していくためにはどう行動するのがいいのかを考えたいと思っています。

その結果、ジャッジに対して「一喜一憂」することなく、常に次のプレーに向かうことを目指そうと決めました。

私も人間ですので、1つ1つのジャッジに対して、自分たちに不利になるようなジャッジには「えっ!?なんで?」と不満を感じてしまうこともあります。しかし、それを平気で口に出したり、態度に出したりしてしまうことで、子どもたちもそれをまねると思っていますし、それが許されてしまう環境を私がつくってしまいます。そして、そういったジャッジに対する不満を平気で言動に出す行為は、まさに審判の「せい」にしているのだととらえています。

審判の方に対する「アピール」もできる限りやらないようにしています。アピール自体は悪いことではないですが、アピールを続けているうちに、段々と審判の「せい」にするという考え方が習慣化してしまうのではないかと考えているからです。私は意志の強い人間ではないので、そういったリスクをカバーできないので、アピールもしないようにしています。

試合の中には、勝負を左右するジャッジもあるのかもしれません。しかし、子どもたちにはそこに目を向けさせるのではなく、自分たちでコントロールできる部分…つまり、自分たちがより成長すれば、うまくなれば、その試合を勝利に近づけていくことができることに集中させたいですし、私自身もそういう人間でありたいと考えています。

目の前で起こることを「受け止め」ながら、いつも次に何ができるか?を考え、素早く頭を切り替えて、次に向かって行動し続ける方がより自分たちの成長につながるのではないでしょうか?


「自分」を成長させるための考え方①のまとめ

「人間は思考(ことば)でつくられている」

これは、最近私のなかまから教えてもらったことです。つまり、「考え方」を変えないと人間は変われないということです。

その人がどんな「考え方」を持っているかでその人の行動が決まってきます。その行動を繰り返していくことによって、習慣がつくられます。そして、その習慣がその人の人格を形成していきます。その人格が自分にあらゆる運命を引き寄せていきます。

もし、日々の生活で「人のせい」ばかりにして、不平不満ばかりを口にしていれば、そういう習慣が身についてしまい、そんな人格になってしまう…そして、自分も人から「自分のせい」にされたり、そういう「〜のせい」にする人が集まってくるのではないでしょうか?

今の「自分」は、これまでの自分の考え方、行動がつくり上げたものです。言い方を変えると、今からでも「考え方」を変えて、行動を変えれば、いくらでも「自分」を変えることができます。これに、遅いということはありません。私も恥ずかしい話ですが、「自分」を変えることができたかもしれないな〜と感じ始めたのは最近のことです(汗)。

ぜひ、この記事をきっかけにして、1人でも多くの方が自分の望む生活を送ること、幸せに近づくことができると大変うれしいです。

この記事が誰かの役に立てますことを願っております。



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「『自分』を成長させるための考え方②」「まねる」