コロナ禍の影響でなかなか高校サッカーを観戦することができなかったこの数年間…先日、ようやく試合関係者以外の人間も観戦が可能となり、私もプエデOBやOGたちの姿を少しでも見たいと思い、会場に足を運んできました。高校サッカーを見ていて、必ず私の頭に思い浮かぶことがあります。
それは、「自分も選手権までサッカーを続ければよかった…」、「大学でもサッカーを続ければよかった…」という自分の人生の選択に対する後悔の気持ちです。何年たってもこの後悔が消えることはありません。なぜ、あのときサッカーをやめてしまったのだろうか…その理由は1つではないですが、最も大きな理由は、自分に限界を感じてあきらめてしまったからです。
今回は、私のサッカーライフからの気づきをみなさまにシェアさせていただきたいと思います。
私の「高校サッカー」
私は、高校でも3年間サッカーを続けました。
しかし、高校サッカーに対してあまりいい思い出はありません。なぜならば、私は高校サッカーでは嫌というほど現実を突きつけられ、挫折もして、もがき苦しんだ経験しか思い出せないからです。
私は、DF(守備のポジション)でしたが、身長は16cmしかありませんでしたし、50m走は6秒後半でスピードもありませんでした。空中戦にも対人プレーにも強さが足りませんでした。その不足を、予測したプレーや戦術理解力で補おうとしましたが、そうは甘くはなく、補うことが全くできませんでした。
おまけに、自分はスイーパーといって特定のマークを持たずに、スペースをカバーしたり、なかまのカバーをしたりする仕事が得意でしたので、4バックでフラット(横並び)のゾーンディフェンスをするやり方では私は必要ない選手でした。
「練習して自分にできることを増やしたとしても公式戦に出場できる可能性はほとんどない」と思っていました。そんな私でも日々練習に取り組み、3年間続けることができたのは、Bチームでも試合機会をつくっていただいたからだと感じています。今となってはただただ感謝しかありません。
しかし、当時の私は「トップチームで公式戦に出場しないと意味がない」と思い込んでいましたので、どんどん不満が募り、悲壮感も増し、サッカーに対して少しずつ気持ちが薄れていきました。「何で自分だけこんな思いをしないといけないんだ…」と自分勝手に落ち込んでいました。
しかし、大した努力もしていませんでした。今思えば、スピードがないなら走ってプレーできるようにして、ポジションを1列前に変えるなどの方法もありましたが、自分の思い込みにとらわれ、自分を変えることに考えが及びませんでした。本当に情けない自分でした。
しかし、こんな苦い経験が後に生きてくる場面がやってきました。
自分がサッカーの指導者になり、子どもたちと関わるようになり、自分の経験が生かせる場面が出てきました。自分と同じような思いをする子どもができるだけ少なくなるようにしたい、体格的に恵まれなくても、走るスピードに恵まれなくても、サッカーを楽しめるようになってほしい、サッカーを続けてほしいという思いが自分の指導者としての1つのやりがいだと感じるようになっていきました。
そんな経験から、今現在では、子どもたちの困り感の解決に役立てる指導者でありたいと日々活動するようになりました。
久しぶりに試合観戦ができた高校サッカー選手権大会県予選
先日、数年ぶりに高校サッカー選手権大会県予選の試合を数試合観戦することができました。以前は、毎年の自分の恒例行事ともいうべきもので、試合を観戦しては、学び直しをする機会としていました。それがコロナ禍でなかなか試合を観戦する機会をつくることができず、とても残念に思っていました。
そんな私自身にとって、とても大切な場を、今年は手に入れることができました。
高校生になった子どもたちを応援する気持ちで見守りながらも、「現実」をしっかりと受け止めて、私自身の指導力を少しでも上げることを目指して、試合観戦をしました。
自分が関わった子どもたちが後でどう成長しているのか?何ができて、何に課題を残しているのか?
それを子どもたちの姿から、気づきや学びを得て、自分なりに整理して、現在自分の目の前にいるジュニア(小学生)やジュニアユース(中学生)の子どもたちがよりよくなるように還元していく…よいものはさらに良くなるように取り組み、足りない部分は少しでもよい方向へ進めるように変えていく、そんな過程を大切にしたいといつも考えています。
こういった取り組みはきっと誰でもやっておられると思いますが、私は指導者の先輩たちの姿から学んで、こうした取り組みをやり続けるようになりました。子どもたちの成長を楽しみにしている1人のサポーターとして、子どもたちの将来に触れた1人の指導者として、大切な取り組みだととらえています。
こうしたシリアスな試合である高校総体や高校選手権での姿も大切ですが、日々の様子もできる限り大切にしたいと考えています。日々の様子については、進学先の高校の先生方から話を聞かせていただいたり、練習試合をさせていただく際にプレーの様子を見させていただいたりして、情報を得て、学びの機会にしています。
指導者としての私の「責任」
私が高校サッカーでやめてしまった最も大きな原因は、もうこれ以上うまくなれないと感じたからでした。「もうどれだけ練習しても大してうまくなれない」と。
しかし、その考え方は違っていました。
私は、19歳から指導者を始めて、サッカーを学び直しました。その中で、少しずつ理解を高めていく中で、技術も少しずつ上達していきました。運動量や身体のキレは全く違いますが(笑)、18歳高校3年生の自分よりも今現在の方がうまくなっていると自信を持って言えます!
だから、私の指導者としての責任は、「サッカーをやり続ければやり続けるほど、うまくなるんだよ!」というサッカーの奥深さとサッカーの楽しさを、子どもたちと一緒に追求しながら、子どもたちに身を以て感じてもらうことだと考えています。
それと同じくらい大切だと考えていることは、自分で「成長」し続けることです。私が高校3年生でサッカーをあきらめてしまったのは、本当の意味で人間として成長すること、自分を成長させることに目が向いていなかったからです。言い方を変えると、「自分の成長」を楽しめていなかったからです。
「できない自分」を勝手にかわいそうだと思い、やらない言い訳を並べて、何もやっていないような情けない人間でした。もし、ここに自分を成長させる視点があったらどうだったでしょうか?もしかしたら、試合に出られる出られないに固執せずに、少しでもうまくなることや心を成長させることに意識を向けて行動できていたかもしれないと後悔しています。
そんな自分の人生の中での失敗から気づいたことを、子どもたちのために役立てることはできないだろうか?そんな思いが今の私を動かしています。自分がやってきた経験だけに頼ることなく、より自分を鍛え、成長させて、子どもたちの役に立つために行動し続けています。
①子どもたちがサッカーがよりうまくなり、楽しめるようになるためにはどうしたらいいのか?
②子どもたちが自分自身を成長させるための方法を身につけていくにはどうしたらいいのか?
という2つの視点を大切にしながら、日々行動し、学ぼうとしています。こんな大切なことに気づかせていただいたのは、これまで私が出会った方々や経験させていただいたおかげですので、大変感謝しております。
「高校サッカー」を最後にさせないために、私ができることのまとめ
近年、プエデのOGやOBのなかまたちが、大学でもサッカー部に入り、競技を続けることが増えてきています。今回の高校サッカー選手権大会県予選を戦った3年生たちもほとんどのなかまが大学でもサッカー部に入り、競技を続けていく話をしてくれました。
また、身近なところで言えば、県内の社会人サッカーでも競技を続けているなかまもたくさんいます。最近、ジュニアユース(中学生)と交流させていただいた鳥取県社会人リーグ1部のバンメル鳥取さんには、プエデのOBたちがたくさん在籍しており、社会人サッカーを楽しんでいます。
1人の指導者として、どんな形でもサッカーを続けてくれていることはとてもうれしいことです。
サッカーを楽しみ、サッカーから学び、サッカーを通じて豊かな日々の生活を手に入れて、素敵な日々を送ってほしいというのが、私の心からの願いです。
そのためには、プエデに関わってくれた子どもたちに、サッカーがうまくなる体験と自分を成長させる体験をできるだけたくさん積んでほしいと日々環境づくりについて考え続けています。そして、この体験たちがやがてその子にしかない、その子にしかできないような「経験」に磨き上げることができるといいな〜と考えています。
そんな「経験」をした子どもたちがその「経験」をなかまに伝え、自分に子どもができれば子どもに伝え…といい連鎖が生み出されることが私のささやかな夢です。
そのために、私は成長し続けたい、少しでもいい方向に変わり続けたいと感じています。子どもたちの背中や姿が、1番私に厳しく足りないことを教えてくれます。しかし、私が本当の意味で子どもたちの役に立つことができていれば、「笑顔」や「存在」で私のことを認めてくれます。
そんな子どもたちから得たものを、学んだものを次世代の子どもたちのために役立てていくのが私の仕事です。これからも、変わり続け、学び続けて、子どもたちと一緒に進んでいきたいと思います。
この記事が、誰かのお役に立てますことを願っております。