先日、私のルーティーンである「Voicy」を聞いていると、「なるほど〜!!」と感じる話を聞かせていただきました。

私の大好きな星渉さんの「ジブン進化論」の過去回で、星さんと角川の編集長の伊藤直樹さんが対談をしておられました。「スゴイ人の見分け方」というテーマでお話を繰り広げておられました。

その中で、「マウンティング・ゴリラ」に気をつけろ!!というキーワードの1つが耳に残りました。

今回は、「マウンティング・ゴリラ」について、私が考えたことをみなさまとシェアさせていただきたいと思います。



「マウンティング・ゴリラ」とは?

「マウンティング・ゴリラ」とは、「自分の実績を誇張する人」の例えで、角川編集長の伊藤さんがおっしゃっていたことばです。

「マウントをとる」という表現を耳にされたことはありませんか?「マウントをとる」というのは、相手よりも上位に立とうとすること、優位に立とうということです。

具体的には、

・私は、あなたよりもすごいから話を聞いてくれという行動をとってくる。
・かなりの上から目線で接してくる。
・お客さんをお金だと思っている。
・語尾を濁す。

といったような行動をとる人のことだそうです。

SNSがめざましい進化を遂げて、SNS全盛期と言われている今日この頃ですが、ネット上ではこうした「マウンティング・ゴリラ」が、自分の影響力を高めよう、お金を儲けよう、日頃のストレスを発散しよう、など様々な意図で、こうした誇張した発信を平気で行う人々が増えているようです。

ネットであれば、自分を「匿名」にして、好き勝手に発信することができます。現在でも、ネット上での「誹謗中傷」が問題となることが続いていますが、この「匿名」ということで自分が責任を追わなくても大丈夫的な、モラルの低下によって、傷つく人々や騙される人々が出てしまっていることは、とても悲しいことです。

だからといって、私はこの「マウンティング・ゴリラ」たちを何とかしましょう!!ということが言いたいのではありません。目撃したら、とにかく「逃げる」ことです。「相手にしない」ことです。

そして、私にできることは、私が関わっている子どもたちにそんな人間にならないように、一緒に成長していくことです。また、子どもを見守ってくださる大人の方々にも発信をすることで、みんなで一緒に価値観を共有していくことだと考えています。


子どもの置かれている環境を冷静かつ真剣に考えてみましょう!

もし、社会との関わりが、「学校に行くこと」と「家庭での生活」だけだったとしたら、どうなるのでしょうか?

学校でも情報教育や道徳、部活動など、人間の心の成長につながるきっかけ、マナーの精神を育てるきっかけがたくさんあると思います。しかしながら、家で自分1人でスマホを自由に触れる時間があったとしたら、どんなことが起こるでしょうか?

運がものすごくよければ、悪いものにも出会わず、健全に生活を続けていけるかもしれません。しかし、思春期の子どもたち、好奇心旺盛な年代の子どもたちに、スマホの誘惑を自己コントロールしたり、悪質な情報を自己コントロールする力はあるでしょうか?ましてや、先に挙げたような「マウンティング・ゴリラ」を見かけたり、飲食店での悪質ないたずらをSNSにアップしたりするようなものを目にしたとしたら、いったい子どもたちはどうなってしまうのでしょうか?

ここで問われるのが、その子どもがどんな価値観を持っているか?どんなマインドを持っているか?だと思います。

「自分(たち)さえ楽しければよい!」…そんなマインドを持っている子どもたちは、ネット上で悪質なものに出会ったときに「おもしろそうだ〜」と乗っかってしまうのではないでしょうか?「相手感覚」が低い人間、ない人間は、非常に危ういと感じています。

そこで、重要となってくるのが「スポーツ」との関わりです。


「スポーツ」だからこそ、学べることを大切にしたい!

「スポーツ」はそもそも相手がいないと成り立ちません。自分1人で競技するものだったとしても、対戦する相手がいなければ、スポーツをすることはできません。ですが、サッカーの試合の会場にいくと、悲しいことに出会うことがあります。

相手の競技者にけがをさせてしまうくらい過剰にタックルしたり、後ろから押したり、引っ張ったりする光景を時々目にすることがあります。また、審判に聞こえないように、大人に見つからないように、小声で相手を馬鹿にするような発言をしたり、ひとりごとを言っているかのように装ってひどいことを言ったりする光景も目にしたことがあります。

今思うと、こういうことを平気でできる人間が、未来の「マウンティング・ゴリラ」や誹謗中傷をするような人間の予備軍なのだと感じています。こうした行為は許されないことかもしれませんが、正論を振りかざしたところで何も意味がありません。つまりは、相手の顔が見ていること以外は、ネット上で起こることと類似しているのです。

だとすれば、考え方を変えると、こういった状況にもし出会ってしまったとしたら、やはり「相手にしない」ことだと思います。もしくは、「逃げる」という選択肢も持つべきかもしれません。このようにして、回避スキルといいますか、現実でどう対処するか?という機会で、私たち大人が過剰に守るのではなく、スキルを発揮させる、もしくはスキルを教える場面なのかもしれません。

繰り返しますが、これは望ましい出来事ではありませんので、サッカーを愛するなかまとしては、見るに堪えない状況です。


そうした上で、自チームにも「マウンティング・ゴリラ」になってしまう要素は、誰しもが持っていて、正しい方向に導いていかないといつかはそうなってしまう可能性もあります。

「自分のチームは大丈夫だろう…」と言った甘い気持ちではなく、自チームからそんな要素が育ってしまわないように、上記のような事例があったときには、しっかりと対話をして人間としての在り方、チームの目指している方向性をじっくりと伝えていくことが大切だと考えています。

子どもたちに伝える際に外したくないことは、相手がいないと成り立たない、相手も真剣に取り組んでいる、相手も一生懸命だし、相手も勝ちたい…という相手の存在です。相手の存在を体験を通じて、感じていくことができる「スポーツ」の価値は非常に重要だと感じています。

子どもは、まだ子どもであるがゆえに、熱くなりすぎて「失敗」してしまうこともあると思います。それは、成長していく過程で起こり得ることかもしれないと思っています。その際に、大人がどう振る舞っているか?どう関わるかで、その子にとって、素敵な価値観が育つのか?はたまた、「マウンティング・ゴリラ」に近づいてしまうのかが、決まってしまうと思っています。

今回のようなケースにおいて、スポーツの指導者の存在は、ものすごく大きなものです。ここはしっかりと地に足をつけて、「責任感」を持って、行動していきたいところです。


「マウンティング・ゴリラ」に気をつけましょう!のまとめ

今回のような内容は、勝負しか興味のない方はあまり考えないことだと思います。もしかすると、自分がいる環境で、そういった光景を多く目にすると、あたかもそれが正しいのではないか?「スポーツ」って、そういったものなんだろうと思い込んでしまったりする危険もあるかと思います。

私は、サッカーやスポーツ以外のコミュニティーに、いくつか身を置くようになって、気づいたことがあります。それは、1つのコミュニティーにしか属していない場合、本当はおかしいはずのことも「違和感」を抱かなくなるということです。

ある方から、「サッカーの競技者数と増やしたいっていうけど、そもそも本当に子どもたちはスポーツをしているんですか?親はスポーツさせたいと思っているんでしょうか?」と、言われてはっとしました。

自分がスポーツをしてこなかった親にとって、果たして子どもにスポーツをさせたいと思うのか?そんな人たちが、スポーツの場で「マウント」をとっているような子どもや大人の姿を見たら、きっと2度と子どもにはスポーツをさせないという考え方になってしまうのではないか?

そんなことに気づき、真剣に考えたとき、なぜ子どもにスポーツをさせるのか?スポーツで何を得ることができるのか?をもっと真剣に考え、人に説明できないとだめだなと気づきました。

スポーツの技能を教えることができたり、チームを強くできたりする力も指導者として重要なものです。しかし、私は、スポーツを…私の場合は、サッカーや運動を通じて、子どもたちに何が提供できるのか?ここの部分を誰よりも大切にしていきたいです。

話を元に戻しますが、なぜ人間は「マウント」をとってしまうのでしょうか?なぜ、相手に対して「攻撃的な」言動をとってしまうのでしょうか?

これについては私自身も苦い経験があります。私が経験からお伝えできるのは、自分に「自信」がないから、それ以外に表現する方法がないから、そして何よりも学びが足りないからでした。今でも、思い出すとすごくネガティブな気持ちになりますし、相手に申し訳ないと思いますし、罪悪感しか残っていません。

こんなやり方ではなく、自分が関わる人々がみな幸福になれることが本来目指していたことです。私は、もう1度、学び直す覚悟ができてから、自分自身を変えることができてきました。こういった経験を、困っている方々の役に立てるように、そして1番は子どもたちのために役に立てるように、これからも変わらず行動していきたいと思います。

ぜひ、困っている方は尋ねていただければと思います。

今回の記事が、誰かの役に立てますことを、願っております。