何気ない光景から
私が車を運転していると、家の前で遊んでいるお子さまがおられました。その子は、お母さんとシャボン玉をして遊んでいました。シャボン玉遊びが大好きな様子で、満面の笑みでシャボン玉液をつけたスティックを振っていました。そんな子どもの様子を見ながら、お母さんもニコニコしておられました。
私は、子どもたちの笑顔をみると、とてもうれしい気持ちになります。また、嫌なことがあってモヤモヤした気持ちだったとしても、子どもたちの笑顔で晴れ晴れした気持ちになります。
みなさまも同じじゃないかな〜と思っております(勝手に決めつけてすみません!!)
なぜ、子どもたちの笑顔には、こんなにもすごいパワーがあるのでしょうか?
「朗らか」ということば
私は、つい最近、「朗らか」ということばに出会いました。
辞書には、「ひらけて曇りなく晴れやかなさま」とあります。
「朗らかな人」、「朗らかに笑う」という使い方をします。
この「朗らかな人」というのは、「いつも元気で明るく穏やかで、裏表がない人」だそうです。
心が「朗らか」であると、物事を前向きに捉えることができたり、目の前で起こった出来事に対して、ありのままを受け取ることができるそうです。それによって、新たな発見に出会ったり、自分が成長するチャンスを見つけたり、物事をより深く見つめることができたりするそうです。そして、自分の心が「朗らか」であると、自分の周りに「朗らかな」心を持った人たちが自然と集まってくるそうです。
こういったことをある方より教えていただきました。
その方は、優しい笑顔でいつも接してくださり、やわらかい雰囲気をいつも感じます。私にとって、その方はまさに「ほがらかな方」であり、私もその方のような心を持ちたいと思って憧れています。
自分の心のままに目の前の現実が見える!?
そんな「朗らかさ」に憧れるようになってから、より子どもたちの笑顔にいろいろなものを感じるようになったと思っています。その日、シャボン玉で遊んでいたお子さまの笑顔も、きっと自分の心のあり様なのだろうと思っています。逆に、私の心が乱れていれば、シャボン玉で遊ぶ子どもの姿を見ても、何も感じなかったかもしれません。
そう考えますと、指導者としていろいろな年代の子どもたち、たくさんの子どもたちに関わらせていただく立場としては、やはり「朗らか」を目指して、心を磨き続けないといけない、自分を成長させていかないといけないと改めて強く感じました。
いろんな場面で、「子どもは親の鏡である」、「相手は自分の鏡である」という話を聞いたことがありませんか?私自身もこれまでいろんな場面でこの話を聞いたり、実感したりした経験があります。
やはり、相手の様子を感じながら、それを「鏡」にして、自分の姿を感じていくことが大切ですね。自分がイライラしていると、それが相手に伝わってしまい、不快な思いや不安な気持ちを与えてしまいます。自分自身が相手の役に立ちたいと思い、相手の話をしっかり聞いていると、それが相手に安心感として伝わり、お互いにとってよい時間が過ごせるかもしれません。
プエデの活動の場についても、
子どもたちが心からの笑顔で楽しめる場にできるよう、自分自身を整えていきたいと思っております。
ある子どもの笑顔から…のまとめ
毎日を「朗らかに」生きることができるのは、とても素敵なことだと思います。
しかし、それは現実問題なかなか難しいことでもあります。日々生活していると、嫌なことがあったり、自分ではどうすることができないことが起こってしまうことも事実です。そんなときに、周りのせいにしたり、人のせいにしたりすると、そのときはすっきりしますが、後で何とも言えないどんよりした気持ちが押し寄せてきます。
私自身は、それがすごく嫌だな〜と感じていたので、自分で変えることのできることだけに集中しようと心がけています。逆に、自分では変えられないこと…相手の気持ちや行動、周りのことはそのまま置いて考えるようにしています。すると、何かネガティブな出来事が起こったとしても、少しは自分ごととして捉えることができたり、自分に矢印を向けて、自分の変えるべき行動に気がつけたりするようになってきました。アラフォーに入ってからでしたが…遅かったかもしれません(汗)!!
今考えてみると、これが「朗らかな心」への入口なのかもしれません。
キッズ年代の子どもたちには、できる限り「澄んだ心」で関わり、一緒に楽しさを共有できたらいいなと思っております。思春期の子どもたちには、なかなか難しいですが、ことばや態度の裏側にある本心や、本人の困り感や悩み感に寄り添い、一緒に苦しみながらもそれも楽しいよねと感じられるような関わりができるようになることが目標です。
現時点ではなかなかできていないですが、少しでも近づくことができるよう、日々1歩1歩進んでいきたいと思います。しかし、どんなに私自身ががんばったところで、「朗らかな」子どもたちには追いつけません。だからこそ、子どもたちから学ぶ姿勢を忘れずに学び続け、子どもたちから教えてもらったことの恩返しで何か役に立てるようなことができればいいなと考えています。
シャボン玉で遊んでいた子どものおかげで、自分の中の整理ができたことに感謝しております。
この記事が誰かのお役に立てますことを祈っております。