息子たちが保育園に入園するとき、通園リュックを購入し、息子たちはとても喜んでいました。

小学校に入学する前、おじいちゃん、おばあちゃんとワクワクしながらランドセルを買いに行きました。ランドセルが自分のところに届くまでは、ランドセルが届くことをワクワクしながら待っていたように思います。ランドセルが自分のところに届いてからは、小学校に入学し、小学生になることをワクワクしながら待っていたように思います。

息子たちは、「かばん」という道具に、ワクワクの感情を抱いているんだな〜と感じています。

そして、それは今も変わりません。
サッカーに出かけるとき、「かばん」に必要なものを準備して詰めるとき、活動をとても楽しみにしながら準備している姿を見ることがあります。

本日は、そこから私が考えたこと、気づいたことについて、お伝えしたいと思います。



自分の「かばん」は、自分で持つことが自立の始まり!?

私は、息子たちが保育園の頃から、自分の「かばん」は自分で持つように、しつけてきました。それは、「自分のことは自分でやる」という自立の力につなげたかったからです。

時には、息子が「かばんが重いから、持って!」と甘えてくる時もありましたが、そんなときは「じゃあ、ここにかばんを置いて帰ろうか〜?」と聞いていました。すると、自分のかばんだから困るのでしょう…しぶしぶ、自分で背負って帰っていました。

その頃は、ただ「自分のことは自分でやる」につなげたいと考えていただけでしたが、今思うと、こうして、「これは自分の『かばん』だ」という意識を植えつけていくことはとても大切なポイントだったな〜と感じております。

自分の「かばん」だから愛着がわく、だから大切に扱う…「僕の『かばん』だから、僕が持ちたい」という感情の成長につながったのかもしれません。

それが今につながっているな〜ということがいくつかあります。

長男がジュニアクラブ(小学生チーム)に入り、しばらくした頃、雨の日に練習試合がありました。サッカーシューズも土でドロドロに汚れていました。すると、誰に言われたわけでもなく、家の外の水道のところで、サッカーシューズを洗っていました。

汚れたサッカーソックスなども洗ってきれいにしてから、洗濯カゴに入れるようになりました。それだけではなく、チームのユニホームはしっかりと洗濯ネットに入れてから洗濯カゴに出しますし、自分が大切にしているクラブ会員ようのアップシャツやジャージ、ピステは、胸についているエンブレムがはげてしまったり、服が痛んだりするのを嫌がって、自分で必ず洗濯ネットに入れています。

クラブの活動時にも、「ユニホームは先輩たちが代々大切に使ってきてくださったから、こうしてきれいなまま、みんなも使うことができるんだよ!」と子どもたちに伝えています。

また、「おうちの方の支えがあってサッカーがこうしてできているんだから、汚れたものは自分で土を落としてから、洗濯に出すところまではやろう!」と伝えています。

しかし、知っても、わかっても、やらない子どもたちもいるかもしれません。うちの息子は、家で伝えなくても、自分でやっていました。やはり、これは幼児期からの積み重ねがあったからかな〜と感じております。


「かばん」は子どもの自立の力を育てるだけではない!?

「かばん」はどうやら、子どもたちの自立の力を育てるだけじゃないな〜ということが最近感じられるようになりました。

みなさまは、「かばん」の中身の準備はどうしておられますか?

私は、保育園の頃は、ほとんどこちらでしていました。ただ、だんだんと自分でさせることを増やすようにしていました。例えば、箸は箸箱に入れてテーブルに置くまでは準備して、そこから「かばん」に入れることは、自分でやらせました。連絡帳もテーブルに置くところまでは準備して、その先は任せていました。

ほんのわずかなことですが、こうして「自分でかばんに入れる」という積み重ねは、大切な過程だったな〜と実感しております。

小学校に入学して、時間割表を見ながら自分で準備するようになりました。しかし、入学してすぐには自分だけで準備できるようにはなりません。そこは、妻にお願いして一緒に準備するようにしてもらっていました。だんだんと自分ひとりでもできるようになっていきました。

次男は、小学1年生の春から、キッズスクールに入り、サッカーをしております。スクールに参加する際も、自分で進んで準備をしています。自分の「かばん」に、「何をもっていけばいいの〜?」と言いながら、自分なりに準備して入れています。そのときのワクワク、ウキウキした様子は、親としていい環境があってありがたいな〜としみじみ感じております。

長男も、自分で準備をします。練習試合やリーグ戦があるときは、はりきって前日から準備をすることもあります。(できないとは思うのですが<汗>)「明日は点がとりたいな〜!」とぶつぶつ言いながら、試合をとても楽しみにしている様子を感じます。

こうして、「自分のことは自分でやる」…自分の「かばん」の準備は自分でやるということができるようになったことは、親としてしつけてきたことなので、本人ができることが1つ増やせてよかったな〜と感じております。

しかし、これって単にしつけとしてのことを越えるものを、息子たちは得ているんだな〜ということに気づいたのです。

サッカーという自分にとって大好きなもの、次の試合や活動を楽しみにしていること、サッカーを通じてなかまと関わること、などなど、「未来の楽しみ」を味わう時間を、この「かばん」を通じて、得ているのです。これって、とても尊いことだな〜と改めて感じています。

人にやれと言われてやることからは、「未来の楽しみ」は想像できるでしょうか?

風呂掃除や玄関掃除など、家の手伝いを息子たちにさせていますが、そこに「未来の楽しみ」はありません。なぜならば、私にやれと言われているからです。でも、何もさせないと「人に何かをしてもらって当たり前」というレベルからいつまでも成長することはできません。

これも息子たちが「未来の楽しみ」を想像できるようにできたらいいのですが、親としての力不足、学び不足です。やはり、親は子どもの姿から学ぶ必要がありますね!子どもの姿は「親の鏡」…自分への戒めとして、忘れずに心に刻んでおきたいと思います。


まずは「かばん」を持たせることからすべては始まる!?のまとめ

今回は、「かばん」から広がる「自立の力」や「未来への楽しみ」について、お伝えしました。

もしかすると、こうした経験を積んでいくから、「物を大切にする心」が育っていくのかもしれません。ものを大切にする習慣を身につけると、自分によい運を引きつけることができると私は考えております。私はまだその域まで成長できておりませんが、「物は生きている!」と感じながら生きていくことで幸せな日々を過ごすことができるようになるそうです。

自分で考えることができない、自分で決めることができない、自分に自信がない…そういった子どもたちの課題の根本は、今回お伝えした内容にヒントがあるかもしれません。

自分の「かばん」は自分で持つこと

たったそんなことで、何が変わるんだ!!と思っておられる方もおられるのかもしれません。
かばんを重そうにしているのがかわいそう!!と手伝いたい気持ちが抑えられない場合もあるかもしれません。

しかし、ここで親として、大人として大切にした方がよいな〜と気づいたことがあります。

それは、私たち大人が自分の人生を生きているように、子どもたちも自分の人生を生きているということです。私たち親が、子どもを自分の言いなりにさせることからは、子どもにとって大切なことが抜け落ちて育つことになります。

例えば、私たちの目の前に成長のチャンスがあります。「このプロジェクトを全力でやり切れば、きっと自分も成長できる!」…そんなときに、他の人間が自分の代わりにすべてやってしまったらどうでしょうか?きっとガッカリするのではないでしょうか?

子どもたちはまだわからないので、ガッカリはしません。しかし、成長のきっかけを1つ失ってしまいます。そして、これが積み重なっていけば、どんどん自分の成長チャンスを失い続けていきます。大人がよかれと思って、手を貸し続けているのを、5年後、10年後のその子はどう見ているでしょうか?

何は手を貸し、何は手を貸さない…とても難しい判断かもしれません。しかし、不安になる、心配になる必要はありません。私たち親も最初は初めてですから。子どもが生まれたら「親0先生」、子どもが1歳になったら「親1年生」です。子どもと同じように、親も成長していけばいいのです。

子どもが失敗してしまうように、親も必ず失敗します。だから、大丈夫です。心配入りません。子育ての失敗を嫌って、誰かのせいにしたり、周りの環境のせいにしたりする必要はないのです。親も失敗するから成長できるのです。それなのに、失敗を何かのせいにしていては、自分が成長する瞬間は訪れませんよね?

「失敗は学び」です。どうか、肩の力を抜き、他の子どもと比べて優劣をつけることなく、その子にしかない素敵なところを見つけていきましょう!お子さまの「未来を楽しみ」にしながら、進んでいきましょう!


今回の記事が、誰かの役に立ち、誰かの勇気や希望になりますようにと、心から願っております。