「そのミーティング、本当に必要ですか?」とみなさんに言いたのではなく、いつも自分に問いかけている質問です。

私は、練習終了後には、必ず円をつくって、ミーティングをしてから解散していました。それが普通だと思って疑うこともありませんでした。

しかし、コロナ禍の活動では、感染症対策の観点から、ミーティングをしないという選択を取らざるを得ない状況がありました。この経験からあることに気づきました。今回はそれについてお伝えしたいと思います。

新型コロナウィルスの影響による日常の変化

2020年3月に緊急事態宣言が発令され、全国で一斉休校となりました。当時、まだ鳥取には感染例がなく、遠いことのように感じていました。しかし、日々の報道から情報を得ると、とんでもないことが起こっているという認識を持たざるを得ない状況に変わっていきました。

そこから、刻一刻と状況が変わっていき、学校での活動の制限がだんだんと緩和されていき、部活動が実施できる毎日が戻っていきました。私たちのクラブも学校の状況に合わせて、活動を再開させ、少しずつ日々の活動が確保できる状況に変わっていきました。

活動再開して、当初はいろいろな活動の制限に戸惑いを隠せませんでした。

当時は得体も知れないウィルスに対して、とにかく感染予防対策のガイドラインに従うしか選択肢はありませんでした。飛沫を受けないように、マスクを着用する、人との距離を2m以上取る、大声を出さない、そして、三密を避けるという感染予防対策の基本は今となっては当たり前のことと認識されています。しかし、当時はそれが本当に効果があるのかもわからず、とにかく言われるがままに実行していくしかありませんでした。

特に、戸惑ったのが「フィジカルコンタクト」を避けて活動するということでした。

「えっ!?じゃあ、サッカーの練習できないじゃん!!」
と、子どもたちの気持ちを考えるともどかしい気持ちになりましたが、そこはぐっとこらえました。子どもたちが活動する場を確保するために、身体接触のないメニューを工夫して行っていました。

感染予防対策として、ミーティングも見直す

当初は、三密を避けて人と人の接触を避ける意図もあって、活動終わりのミーティングや活動途中のミーティングをすべてなくしました。活動時間も大幅に短縮して実施しておりましたので、私としては、「子どもたちにできるだけボールに触れる機会をつくりたい!体を動かす時間を確保したい!」という気持ちの方が強くありました。

活動再開をしたばかりのときは、わずかな活動時間にも関わらず、子どもたちの目の色はすごく、とても集中して活動していました。しかし、活動規制がだんだんと緩和してきて、活動時間もだんだんと長く実施できる状況となりました。そうなっていくと、次第に活動できることが当たり前という感覚となっていき、準備や後始末の行動がだらっとしてしまったり、練習途中の動きもだらっとしてしまったりしてきました。人間誰しもが刺激になれてしまうので無理もないことです。

そろそろ子どもたちに伝えないといけないな〜と感じたので、

「今はこうしてまた以前のように活動できつつあるけど、またいつか活動を止めないといけない日がくるかもしれないよ。そう考えると、この時間はもったいないよな?」と伝えました。

すると、バシッと「やる気スイッチ」が入り、見違える動きにぱっと変わりました。当時は、まだ「緊急事態宣言」の記憶が強く残っているから、やはり子どもたちはあのときがきつかったから、「もうあんな経験はしたくない!」と感じていて、「今こうしてサッカーが当たり前にできる幸せを大切にしよう!」という気持ちが強かったのだと考えていました。

今考えると、「感染予防対策としてミーティングをしなくなったのに、そのリスクを冒してまでコーチが伝えようとしていることは何だろうか?」と聞く側の子どもたちの聞く姿勢、聞く意識が変化していたのだと思いました。

ミーティングをしなくなってからの子どもたちの変化

終わりのミーティングをなくしてから、こちらの声かけに対する反応が明らかに変わりました。こちらが子どもたち全体に対して要求することやアドバイスすることに対しての反応がかなり鋭くなりました。今までは2回3回伝えないと、子どもたちの反応が変わらなかった感覚でしたが、1回でバシッと行動が変化する子どもたちの数が格段に増えた感覚です。

そして、私自身が変えたことは、伝える方法でした。人が集まり「密」となる瞬間をつくらないようにという感染予防の意図から、全体ミーティングはやらないようにしました。本当に全くと言っていいほどやりませんでした。しかし、その分子どもたち個人個人には、個別に声をかけることを増やしていきました。

すると、子どもたちのうまくなる速度が上がっていることに気がつく瞬間がありました。個別の声かけを増やしたことにより、子どもたちの習熟度や成長段階に応じて、適切な課題設定ができるようになったのではないかと感じています。また、その子に必要なことに適切なタイミングでアドバイスできることが増えたように感じています。そして、子どもたちの側から考えてみると、個別に声をかけられることによって、コーチに自分のことを見てもらえているという安心感を感じたり、自尊心が満たされたかもしれません。

もともとクラブ内では、個別への声かけを大切にしてきましたが、このときほど個別に声をかけることがとても大切であると感じた瞬間はなかったと思います。全体ミーティングも重要ですが、それ以上に子どもたち個人個人を大切にして、個人個人にあった声かけをしていくことの方がとても重要であるということに、実体験に基づいて感じ、学ぶことができました。

ミーティングについての自分の思い込み

きっかけは、感染予防対策の1つとしてでした。しかし、「活動終了後に全体でミーティングをするものだ」という自分の思い込み(囚われ)に気づくことができ、今後の子どもたちとの関わり方を考えるきっかけに気づけたことは私自身にとって非常に大きなものでした。

それ以来、「これは全体の場で伝えるべきか?個別に伝えるべきか?」という視点を持ちながら指導できるようになりました。また、「これは今伝えるべきか?もう少し様子を見て待つべきなのか?」という伝えるタイミングについても考えるようになりました。

すべては、子どもたちが成長につなげるために伝えることが重要である、ということに身を以て気づくことができたからです。

以前の私は、自分が伝えたいことを伝えていた感が強かったです。伝えたいことがあるのは悪いことではありませんが、「子どもたちの成長のために」、「今子どもたちに必要なこと」、「子どもたちにしっかりと染み込むタイミング」、そして「誰に伝えるべきなのか?」などの視点が不足していたことに気づかされました。

これまでに気づくことができず、とても情けなく感じます。しかし、ここから子どもたちと一緒に学びながら、練習を進めたり、試合に向かったりする感覚が高まり、より活動を私自身が楽しんでできるようになりました。

ここ最近では、試合のときに「自分はここをこう変えた方がいいと思うんだけど、みんなはどう思う?」とか、「どこかうまくいっていないところや困っていることはある?」とか、子どもたちに聞きながら、できる限り一緒に問題や課題を解決していくような方法をとろうと考えて行動しています。

私の中でも答えは持っていますが、私の答えを押し付けるのではなく、子どもたち自身の答えをピッチで発揮することの方が大切だと考えています。それがたとえ失敗したとしても、次の行動のヒントになるからです。こういった関わりを続けていくと、ゲーム中に自分たちでやり方を変えたり、フォーメーションを多少変更したり、自発的にするようになった年代もありました。

当然、大前提として日々の練習での積み重ね、積み上げが重要であることは間違いありません。しかし、私たち指導者の考え方1つで、これまでも子どもたちの様子が変わるものかと痛感しました。それと同時に、私たち大人があることにこだわりすぎたり、思い込みすぎたり、囚われすぎたりすることで、子どもたちのサッカーを邪魔してしまう可能性があるということを肝に銘じないといけないということも学ばせてもらいました。

ミーティングについてのまとめ

ミーティングは誰のためにやるのか?

それを根底から叩きつけられる経験でした。
やはり、ミーティングは子どもたちが成長するため、成長のきっかけをつかむため、頭や心の整理をするためにあるものです。

それなのに、いかに自分は「自分が伝えたいこと」のためにミーティングを行なっていたかということに気づくことができました。

全員でミーティングを行うことも必要な場面もあるかと思いますが、やはりもっと大切にすべきは、個別にコミュニケーションをとって個々が成長するために必要なことを提示したり、気づいてもらうきっかけをつくったりすることだと改めて感じました。

コロナ禍によって、たくさんのものを失いました。子どもたちはもっと大会や試合がしたかったと思いますが、そういったかけがえのない機会を失った子どもたちのことを考えると、心が痛みます。しかし、失ったものだけではなく、得たものもありました。

それは、子どもたちとの関わり方です。
コロナ禍での活動を模索していくうちに、今回の記事のようなことに気づけたこと、学べたことはとても大きなことだったと改めて感じています。試合数は少なくなってしまいましたが、私が少し成長できたことで、これまでよりも個々として成長した子どもたちを高校年代に送り出すことができたのではないかと感じています。

いつの時代も変わらないといけないのは、子どもたちではなくて、私たち大人であるということを教えてもらったような気もしています。

今回はとても長くなってしまいました。すみません!!

この記事がだれかのお役に立てる日がくるといいなと願っております。