正月といえば、「箱根駅伝!!」と声を大にして言うくらい私の生活に根付いていますが、みなさまはいかがでしょうか?

今年も(2023年も)1月2日(往路)、3日(復路)の箱根駅伝が開催されました。駒澤大学の完全優勝、そして史上5校目の三冠達成で幕を閉じました。中でも、2区のあのデッドヒートは歴史に残る戦いだったのではないかと感じております。

そんな2区のエピソードから感じた自分を成長させるヒントをみなさまとシェアさせていただきたいと思います。


12秒差に3人!!花の2区のデッドヒートから学ぶ成長の要因

中央大学の吉居選手、1時間6分22秒。
青山学院大学の近藤選手、1時間6分24秒。
駒澤大学の田澤選手 1時間6分34秒。

この2区で1〜3位を競り合い、激闘を繰り広げた3チーム3名の選手たちは、わずか12秒の中におさまるような、近年まれにみる接戦となりました。私たちファンも画面に釘付けになり、心がぐっと動かされるようなパフォーマンスのぶつかり合いに、心が熱くなりました。

応援する側の私たちの心にこれだけのものが与えられるのは、やはり、自分にとっての「ライバル」の存在は大きく、「ライバル」どうしの真剣勝負からくるものなんだと感じました。


「月陸Online」の記事の中で、青山学院大学の近藤選手が以下のように語っていたそうです。

「その背中を追い続けてきた田澤について、万全ではなかったことは知っていたそうで『その中でもああいう走りをするのすごい』と称え、『田澤選手のお陰で僕は強くなった思うので、これからも背中を見続けて成長できていきたい』と語った。」

「ライバル」を「敵対視」して、その相手に勝つために相手を蹴落としたり、傷つけたりするような行動をするような考え方や精神力では成長できないのだと思います。そうではなく、相手の存在を大切にして、よい刺激を受けて自分に生かす、相手から自分が成長するためのエネルギーを得るような関係づくり、考え方をしていくことが自分を成長させていく重要な要因だと捉えています。

つまりは、「ライバル」を「敵対視」ではなく、「好敵手」として捉えていくことが自分の成長にとって大切な考え方だという気づきを得ました。

そして、「好敵手」という考え方で取り組み続けることによって、「ライバル」の素晴らしいパフォーマンスやよい結果をも自分を刺激してさらなる成長のエネルギーに変えること、自分の積み重ねや努力も自分の成長につなげていくという2重のよい刺激、よい循環を産み出し、結果的に自分の成長のきっかけを増やし、自分の成長速度を上げていくことにつながるのではないでしょうか?

こう考えると、試合、つまり相手との戦いこそ、最高の自分を引き出しあえる最高のチャンスであると考えることができます。そして、試合でそれを実現するために、日々の練習や取り組みがあると考えると、日々の行動が変わっていくのではないでしょうか?


自分の限界を越えるためにポイントとなる「好敵手」エピソード

もう1つ…2区の中で、これからの私たちの成長につながえていくための大切な学びのチャンスに気づきました。

それは、青山学院大学の近藤選手と中央大学の吉居選手のエピソードです。

レース序盤で4位スタートから、一気にトップにたった中央大学の吉居選手でしたが、12キロ過ぎで駒澤大学の田澤選手に追いつかれて、首位が交代します。その後どんどん差をつけられて、離されてしまいました。すると、14キロ過ぎで、青山学院大学の近藤選手が追いついてきました。近藤選手が吉居選手を抜き去ろうとしたときに、「ついてこいよ!」と合図をしたそうです。それに気づいた吉居選手は何とか食らいついてついていき息を吹き返します。そして、最後の最後、この2区のトップになって襷を次につなぎました。

参考記事:Yahooニュースの記事(日テレNEWS)Number Webの記事

近藤選手と吉居選手は、愛知県出身で小さい頃から同じ陸上クラブで練習を積み重ねてきた先輩・後輩の関係だったようです。メディアの中には、こうした2人のやりとりを、幼い頃からの絆でトップの駒沢大学の田澤選手に迫るといったドラマチックな語りをされている記事もありましたが、そういったことを言いたいわけではありません。

子どもの頃からのつながりがあろうがなかろうが、絆があろうがなかろうが、同じ競技の「なかま」として、お互いが切磋琢磨をして、少しでも成長し合えるような関係をつくろう、関わり方をしようという視点で、近藤選手のような考え方、精神力を磨いていくことによって、そこでしか得られないような成長や進化につながるのではないかということを大切にできないかなと考えております。

最後、近藤選手はこの勝負には個人として勝つことはできませんでした。しかし、悔いはなかったのではないかと推測します。それよりも、「今度は負けないぞ!」と次の成長に向けて、よいスタートが切れているのではないかと感じます(ご本人さまに聞いてみないとわかりませんが…)。

スポーツによる人間育成の大切さはよく耳にしますし、私自身も口にします。しかし、本当に意味でスポーツで人間育成をしていくためには、こういった勝負に対する考え方や捉え方、ともに勝負をしている相手に対する考え方や捉え方を実体験から学ばない限り、人間的な成長にたどりつかないと実感しています。とても難しい課題ですが、子どもたちとともに感じ、考えながら相手(チーム)と誠実に関わっていきたいと考えております。


最高の「自分」と出会うための極意とは?のまとめ

最高の「自分」とは、今の自分よりも成長した自分のことです。

最高の「自分」と出会うための極意とは、何でしょうか?

この問いに対する答えは1つではないと思いますし、正しいものはないかもしれません。今のところ、私自身の答えは、相手を「好敵手」と捉えて、相手のよさをそのまま認める、その上で相手と切磋琢磨していくことではないかと考えています。

ここで、相手を「大したことはない!」とか、「自分たちの方が優れている!」と声にして言う…つまりは、相手に対して「攻撃的になる」ということは、「その時点で自分自身に自信がない」ということを表しています。だから、それに対してはこちらが相手をする必要はありませんし、自分たちがそうなってしまってはいけないと思います。

本当に「強く」て、「たくましい」人間性を兼ね備えているのなら、心・精神力が育っているのであれば、相手が強かろうが弱かろうが、自分たちの方が優れていようが劣っていようが、目の前の試合(戦い)に全力で挑み、全力を出し尽くすのではないでしょうか?そこで、結果によって、周りのせいにしたり、相手をけなしたりするのは、自分(たち)が弱い、幼い、精神的に成熟していないということではないでしょうか?

指導者(大人)の側が、こういった部分の経験不足、整理不足によって、子どもたちが楽しみや成長のチャンスを失ったり、被害を受けないように配慮したりということで、指導者(大人)が「怒ってはいけない」というルールを作っている競技の大会もあるようです。しかしながら、私たち大人がお互いに学び合えば、このルールも必要ないでしょうが、それが難しいような社会の状況があるようです…。

プロスポーツであれば、結果によって自分たちの生活がかかっているので、こういったことが当てはまらない状況も理解できます。しかし、子どもたちの運動やスポーツの場では、もう少し考えていかないといけません。プロが相手選手に対して攻撃的に言っているから自分たちもまねする、プロが審判に対してクレームを言っているから自分たちも言うというのは、とてもかっこ悪いことです。

そんな私自身も中学生や高校生の頃、かっときたり、自分の思いとちがったりしたときに、よくない言動があったことを今でも反省していますし、「何であんなことをしていたのだろう…」と後悔の気持ちが蘇ってきます。やはり、自分が精神的に幼かったと現在ははっきりと認めることができますし、理解できます。だからこそ、私と同じような思いを子どもたちには感じてほしくないですし、よくない思いを感じたときにしっかりと自分の心をコントロールして、人間として「強く」、「たくましい」言動と「責任」のある行動をとれる人になってほしいと願っています。

そのためには、私たち指導者や大人が、子どもたちと一緒になって学びながら、大切なタイミングで子どもたちに学びや気づきの機会を提供できるかが重要だと思います。競技力の向上を目指していくことと同じくらい、心や精神力を育てていくことができる考え方を整理して身につけていく、そして実践していくことも大切なことだと改めて感じております。

今回のこの箱根駅伝2区のエピソード、以前の仙台育英のエピソード()を通じて、とても大切なことに気づき、学ぶ機会をいただけたことに大変感謝しております。

この記事が、誰かの役に立てますことを願っております。