これまでおよそ20年間指導者として歩んできて、本当にいろいろな経験をさせていただき、こんな私に成長の機会をいただきましたこと、心より感謝しております。

そんな中で、これを経験していなかったら、今の私の価値観には至らなかっただろうという経験があります。

この経験をぜひみなさまとシェアさせていただきたいのですが、もしかしたら私の伝える力不足でみなさまにうまく伝わらなかったり、ずっと子どもたちのそばにいた私の温度感がうまく伝わらなかったりするかもしれません。それでも、どうしてもこのタイミングでお伝えしたいと感じました。

その理由は、県のサッカー協会から「リスペクト精神が欠ける行動をなくすために」という発信がされた後も、現場でなかなか変化が起こっていない現状を目の当たりにしてきたからです。私には、そういった人たちを変える力はありません。

しかし、この記事を読んでくださった方々の心に「本当に大切にしたいものは何ですか?」という問いを自分自身に問いを出していただけるようなものをお渡しできるのではないかと考えました。

残念ながら「リスペクトに欠けるような行動」をしてしまっている方の多くは、サッカー経験者や長くサッカーに関わってこられた方々であると私は感じております。長年の経験に奢ってしまい、学びのアンテナや周りの目のアンテナが低くなってしまい、「このサッカーの世界は、これが常識だろう…」と思い込んでしまっていることから、続いているように感じています。

実際、現場で私自身も嫌な思いをすることがあります。私が審判をしているとき…確かに私の判定も正しくなかったり、下手だったりするので、言いたくなる側の気持ちはよくわかります。試合に勝つために、少しでも自分たちに優位な判定をしてほしいという気持ちもよくわかります。しかし、審判の判定を批判したり、文句を言ったりして、相手に嫌な思いをさせてまでした勝利に何の価値があるのでしょうか?

私は、そんな言動をとる方のこと、そんな言動をとるようなチーム関係者とは、距離を置こうと思いますし、全く応援したい、支えたいという気持ちを持つことはできません。そして、こうした言動が続いたり、こうした言動をするチームが増えてしまうことで、ますます「サッカー」を嫌がる人たちが増えてしまい、サッカーをやめてしまうなかまが増えてしまうのではないでしょうか?「サッカー」って嫌なスポーツだという認識が広がってしまうと、サッカーを始める人の数も減っていってしまいます。

私は、サッカーの価値、スポーツの価値はとてつもなく大きいと信じています。子どもに限らず、大人もたくさんのことを学ぶことができ、自分自身の成長につなげることができます。そして、何と言っても「楽しい」です!!サッカーやスポーツを通じて、「楽しさ」を感じたり、人との「つながり」を感じることができ、プレーしている人々も、それを見ている人々も、それを支えている人々も、みんなで一緒に「幸福感」を味わうことができます。

そんな「かけがえのない場」が、しっかりと守られてほしい!!という強い思いでお伝えさせていただきたいと思います。

珍しく前置きが長くなってしまいましたが、それだけ思いの強さがあることを感じていただきながら、今回の記事をシェアしていただけますと大変ありがたいです。



小学生のチームに6年生3人だけになってしまう…

2020年度は、6年生がたくさん所属していて、試合も何不自由なくできている状況でした。しかし、5年生以下については、5年生3名のみでした。

来年度は試合ができない状況になってしまう…危機感はありましたが、なかなか状況を変える手立てが打てず、現状維持が続いてしまいました。完全に、私の力不足、打ち手不足で、子どもたちにも、保護者のみなさまにも、大きな不安を与えてしまったと思います。心より申し訳ないという気持ちです。

1つの希望は、スクール生の存在でした。

当時は、「か〜すく」(火曜ジュニアスクール)のみの運営でした。か〜すくの中に、6〜7名ジュニア(小学生チーム)で一緒に活動してくれるのではないかというなかまが所属していました。

しかし、1つ問題がありました。それは、まだまだ試合でプレーできる段階まで成長できていないという点でした。ミニゲームの中で、やっとボールを触ることができるようになって、楽しくなってきた段階の子どもたちや、まだ全く思うようにボールを扱うことができない段階の子どもたち、など、試合に出たとしても、できないことばかりに出会うことになり、サッカーが嫌いになってしまうかもしれないという心配がありました。

ミニゲームなら、できることはあるのかもしれませんが、8人制の大きなコートでプレーすることを考えますと、とても厳しい現実が待っているのではないかと感じておりました。


悩みながら進めていく中で、2021年の冬のあるとき、5年生3人と話をしてみました。「これからスクール生に声かけをしながらジュニアの体験に誘ってみようと思う。でも、スクール生もまだまだできないことが多いから、ジュニアの練習をもっと簡単なものにしていかないといけないと思う。そうなると、5年のみんながうまくなることにはつながりにくくなってしまうかもしれない…そんな状況の中で、スクール生を励ましながら活動していくことはできる?」といったようなことを率直に聞いてみたのです。

すると、5年生3人から出たことばが、「試合ができればそれだけで十分です!!」という力強いことばでした。私よりも3人の方が、冷静に状況を理解して、チームのためを、クラブのためを考えていたのです。私の方が勝手に固定観念を持っていて、決めつけてしまっていたことに気づかされました。

目の前の子どもたちの状況や様子に合わせて活動していくのがよいということに気づき、1・2月から少しずつジュニアの体験参加に誘いながら、進めていきました。3月末から4月にかけて、ようやく試合が実施できる状況にすることができました。

4月から、ジュニアユースの中1のなかまと紅白戦をしながら、試合ができる準備を進めていきました。指導者としての視点で見ると、何から取り組んで行こうかな?と迷ってしまうくらい課題がたくさんありました。しかし、子どもたちは、とにかく試合ができることが楽しいようで、できないことに落ち込むなかまはいませんでした。

これも、6年生になった3人がよい雰囲気をしっかりとつくってくれていたからでした。ミスしたなかまやプレーができないなかまを馬鹿にしたり、批判したりする雰囲気は一切ありませんでした。それどころか、「こうしてみたらいいよ!」とアドバイスを伝えたり、「次に切りかえよう!」と前向きな声かけをしたり、相手に対して、とてもあたたかい気持ちを持っているのが感じられました。

それだけ、6年生3人も、「試合がやっとできる!」という気持ちが強かったようでしたし、試合ができる環境に心から感謝しており、ここから大人が学ぶことがたくさんあると感じました。試合ができるという「あたりまえ」のありがたさに気づくことができず、「もっとこうしたい!」という欲が大きくなっていったり、勝ちたいと執着しすぎるのは、大人の方だと気づかされました。

リーグ戦スタート!!しかし、なかなか勝てない…

当然、理解も覚悟もしておりましたが、なかなか試合に勝つことができませんでした。

しかし、私の予想を越えていたのが、得点をとることができることです。1点もとれないのではないかと1番苦しい状況も想定していましたが、6年生のがんばりで得点をとることまでは、何とかできました。試合も、途中まで0対0だったけど…、先に先制点をとったけど…、0対2から同点に追いついたけど…、と惜しいところまではいくのですが、最後は逆転負けをしてしますのです。試合には、4年生や3年生が多く出場しているので、それは無理もないことです。

それでも、6年生3人も、ほかのなかまもくじけることなく、活動を積み重ねていきました。

活動をしていく中で、6年生が口を揃えて言っていたのが、「次の試合こそは勝ちたい!!」ということでした。そんな6年生たちの思いを他のなかまたちにも、共有していきながら、チーム全体が「まずは1勝」という目標、強い思いで練習や練習試合に取り組むようになっていきました。

ここには、子どもたち自身の体験…試合ができない状況から、メンバーが揃って、でも試合に勝つ段階まではいけていなくて、何とかしたら「勝てるかもしれない」という試合の体験をして、そして、「次の試合こそは勝ちたい!!」という思いが持てるようになった…1段1段小さな階段を登るようにして、子どもたち自身が自分たちの思いに気づき、思いを育ててきた過程がしっかりとありました。

そんな尊い思いを、実現に近づけることができるような日々の練習の取り組みを悩みながら提案していきました。どうしたらボールが蹴れるようになるのか?ボールを止めることができない子どもにはどう指導したらいいのか?子どもたちが納得感を持ちながら練習に取り組み、上達を実感して、試合でも生きていると感じることができるように、取り組んでいきました。

練習がうまくいかないこともたくさんありましたが、子どもたちの思いに触れているおかげで、焦ることなく進めることができましたし、何よりも「何とかこの子どもたちの役に立ちたい!!」という私の思いが大きくなっていきました。

前期リーグを終え、7月8月9月としっかりと練習、中1との紅白戦、練習試合を積み、後期リーグで何とか1勝するという経験を積ませたいと考えていました。


初勝利の試合で見つけた私の「答え」

後期リーグが10月からスタートしました。

後期リーグの最初の試合で、なんと、1対0で初勝利をつかむことができました。

その試合は、いつ失点してもおかしくない試合展開でしたが、運も味方して前半を0対0で終えました。ハーフタイムで、「今日こそは、絶対勝とうで!!」と子どもたちから何度も声が上がっていました。

後半が始まっても、やはり同じような試合展開でした。記憶が定かではなりませんが、後半残り時間8分、7分を過ぎた頃だったでしょうか?6年生のなかまがフリーキックだったか、ミドルシュートだったか、素晴らしいシュートを決めて、先制しました。

その後、何度もピンチを迎えましたが、6年生が体を張ってシュートを防いだり、シュートがポストに当たったり、運も味方して、何とか失点することなく、試合を進めて、1対0で初勝利をつかみとることができたのでした。

インスタに投稿が残っていたらよかったのですが、インスタを始めたのがちょうどその頃で、記録に残せていませんでした。しかしながら、子どもたちにとっても、私自身にとっても、間違いなく人生の「ハイライト」になったのではないかと感じております。

試合の細かな内容までは鮮明に覚えていないのですが、試合終了した瞬間に、子どもたちが大声で喜び合っていたのと、それを見守っていた私自身の感情は鮮明に記憶しています。

今まで苦労して活動してきたこと、6年生3人がほかのなかまたちをしっかりと支えながら活動を積み重ねてきたことなど、自分たちの力で勝ち取った1勝であることを実感していたので、子どもたちの笑顔や喜ぶ声は、本当に清々しく、私の心にストレートに感情が伝わってきました。

私はそれまでの人生で、試合に勝っても負けても、うれし涙も悔し涙も流したことはないのですが、そのときは、すごく胸を打たれて、涙がこみ上げてきました。ミーティングで涙をぐっとこらえて、「やっと1勝できたね!!やったね!!」とだけ伝えて、みんなで再度喜びました。それ以外のことばは、そのときは必要ないと感じたからです。ことば以上のものを、子どもたちの中で感じていると思ったからでした。

このとき、私が感じたことは、子どもたちの「サッカー」は、子どもたちのためにあるということです。もし、私が何とかして勝たせたいと勝利に執着して、厳しい練習を課したり、頭ごなしに「こうやろう!」と無理やりリードしていたら、こんな子どもたちの姿は見られなかったし、ここまで子どもたちが喜ぶこともできなかったと思います。そして、私自身もこんなにうれしいと感じることもなかったと思います。

「子どもたちのサッカー」を、大人の欲求や執着を満たすためや、大人の一方的にな思いを伝えるだけや、大人が指導しているつもりになっているだけ、そういったことにしてはいけないと感じました。まだ、うまく言語化できないのですが、大人が「子どもたちのサッカー」を邪魔してはいけないと思うのです。

「プレーヤーズファースト」といって、子どもたちを第一に考えようということばがありますが、そんな簡単にことばで語れるものではないと思っています。

「子どもたちのサッカー」のなかまに入れてもらうために、私たち大人は何が必要なのでしょうか?どう行動するのがよいのでしょうか?

この経験を通じて、私はその「答え」を真剣に考えないといけないことに気づかされました。この「答え」を見つけるためには、やはり、子どもたちのなかまに認めてもらい、一緒に活動していく中で、ともに学ばなければ見つかりません。私が子どもたちから教えてもらったことは、「一緒に成長すること」です。

かといって、子どもたちを自由にすること、子どもたちといいなりになることとは全くちがうと思います。私たち大人は、子どもたちよりも長く生きてきている経験があります。その経験から、子どもたちにとってよいことは伝えていくべきだと思います。

大人が伝えたことが子どもたちに受け入れてもらえないとしたら、こちらがやってもいないことを伝えていたり、子どもたちが腹落ちしていなかったり、うまく伝わっていなかったりするかもしれません。そうであれば、こちらが変わらないと受け入れてもらえません。

子どもたちが受け入れてくれないことの中でも、これはどうしても伝えないといけないことやできるようにしなければならないこともあります。そんな大切なことであれば、しっかりと信念を持って、しつこく伝え続けないといけないのではないでしょうか?

大人が成長するためには、これまで経験してきたことを自らの意志で否定することが必要になります。言い方を変えると、大人の学びには、痛みが伴います。「昔はこうだった…」、「最近の子どもは…」、そんな自分の経験で子どもたちを見たり、はかったりしてはいけないのではないでしょうか?過去の経験や自分のプライドを捨て去り、ぐっと我慢しながら、学び直しをしていくと、必ず心が傷んだり、恥をかいたりします。しかし、この行動ができることこそが、「子どもたちのサッカー」になかまに入れてもらうための「資格」ではないかと、子どもたちに教えてもらいました。


私の価値観を大きく変えた強烈な出来事!?のまとめ

繰り返しになりますが、
大人の学びには、必ず痛みが伴います。しかし、そこまでしてでも、「子どもたちのサッカー」に関わりたい気持ちがあれば、子どもたちは心から受け止めてくれると感じています。

もし、この記事がみなさまにとって、偉そうに感じてしまっていたら、申し訳ありません。しかし、過去の私自身が、まさに上から子どもたちを押さえつけ、痛みを伴う学びをしないような情けない人間だったです。だからこそ、こうして自分が経験したこと、感じたことをお伝えすることで、何かみなさまのお役に立てるのではないかと思いましたので、お伝えさせていただきました。

全日本少年サッカー大会や高校サッカー選手権大会など、テレビで全国放送されて、それを見ると自分も感化されるのもすごくよくわかります。私もそうでした。

しかし、大人はそこで問いを持たないといけません。

優勝すること、勝つことが本当に必要なのでしょうか?

過去の私も、試合で勝つことでうれしかったですし、勝つことで子どもたちもうれしいと思い込んでいました。しかし、それはちがいました。どんな手段を使ってでも勝つ、無理やり子どもたちに言うことを聞かせて勝つ…その勝利の喜びとともに、消えてしまうもの、なくなってしまうものもあります。

私には、勝負への執着はほぼありません。それよりも大切なものを、子どもたちから授けてもらいました。

それは、一緒に創り上げていくという「共感・共創」のサッカーです。もしかしたら、以前のやり方の方が、選手たちの競技レベルが上がったかもしれませんし、強いチームができたかもしれません。でも、そこには子どもたちとのつながりをあまり感じることができません。

子どもたちと一緒に、自分の悩みながら、悔しがりながら、少しずつ成長していくこと…子どもたちとのつながりを感じられることが私にとって、大切なこと、価値が高いことになりました。

「リスペクトが欠けてしまう」ことが起こるのは、試合を「共感・共創」する心がけの欠如が原因かもしれません。「共感・共創」の視点が欠けてしまって、アドレナリンだけがガンガン出ているような「競争」の視点だけでは、相手に対する「リスペクト(尊重)」は欠けてしまいます。

そして、ここには日々の生き方、マインドが深く強く影響を与えると思います。日々が「競争」、「競争」、「競争」だけだとしたら…それはなかなか変わるきっかけをつかめないかもしれません。以前の私もそうだったです。

そんな私でも変わることができましたので、これからも1人でも多くの人々のために役立つ人間でありたいと考えています。

かなり長文になってしまいましたが、それだけ強い思いと、私に気づきと学びを与えてくれた子どもたちへの感謝の気持ちと、そして素敵な未来がきっとくるという願いを込めながら書きましたら、長くなってしまいました。

こうしてアウトプットしたことで、自分への戒めにもなりました。

この記事が、誰かの役に立てますよう、誰かを元気づけたり、勇気づけたりすることにつながりますよう、願っております。最後まで読んでいただきまして、大変ありがとうございました。