私の息子が持って帰ってきた「学年だより」に次のようなことが書かれていました。

「学校に不要なものを持ってきている、体育の時間に体操服に着替えない、名札をつけない、授業の遅れてくる人がいる…このようなことについて学年集会を開き、指導しました」ということが書かれていました。

柔らかい表現で書かれていましたが、これは「非常事態」レベルだと感じています。しかし、ここではっきりしておきたいことは、そんな状況になっていることを学校のせいにしたり、その子どもたちが悪いなど、「他責」の視点で物事を見ているのではないということです。

こういったネガティブなことに対して、親として、指導者として、何を学びとって、日々の活動に生かしていくか?そこに集中したいですし、それ以外には何も意味がないと考えています。

また、悪い状況の中でも、しっかりと取り組んでいる子どももいるということは忘れたくありません(ただし、それは私の息子ではないです<汗>)。

今回は、そのことについて考えたことをみなさまとシェアさせていただきたいと思います。


結論、集団全体の雰囲気が子どもの姿にとてつもなく大きな影響を与える

日々の登下校の様子から、通学帽子を被っていない子どもたちが多く見受けられること、運動会の様子から、整列すべきときにいつまでもベラベラしゃべっている子どもが多くいたこと、かなりの暑さにも関わらず、マスクで顔を隠していつも友だちと群れてでないと行動できない子どもたちが多かったこと、など、個人的にとても気になっていました。

そんな状況ですので、参観日も運動会もダラダラした雰囲気を感じました。

しかしながら、そんな全体の雰囲気でも、目をキラキラさせて、テキパキと行動していた子どもたち、全力で取り組んでいた子どもたちもいましたので、「素晴らしいな〜!!」と感心した面もありました。

ここで考えたいのは、雰囲気が悪いのがいけないという正論ではありません。なぜ、雰囲気が悪くなるのか?という原因を見つめていくことによって、学びに変えることです。

ここで、最も重要なことは、「やるべきことをしっかりやらない」人間が多いと、どんな集団も崩れるということではないかと感じています。これは、子どもに限らず、大人も同じではないでしょうか?

言い方を変えると、「やるべきことをしっかりとやる」という人間を1人ずつでも増やしていくしか、現状を変えていく方法はありません。私が小学生の頃は、パワーのある先生方が大きな声をかけて、張り詰めた緊張感を作っておられました。そんな状況の中で、それでも「やらない」子どもは、よっぽど普段から「やっていない」ので、仕方がないような感じでした。

しかし、これには大きな弱点があります。それは、「外発的動機づけ」であるということです。つまりは、無理やり「やらされている」子どもも多くいると思いますので、緊張感がない場では、「やらない」状況が生まれたり、刺激に慣れてしまって、その後は効果がなくなるということが起こる可能性があります。その先生がいない場では「やらない」かもしれません。

ここから学ぶことは、やはり「内発的動機づけ」によって、子どもたちにアプローチしていきたいということです。自分の内面から、気づきを得て、行動を変えていくことによってしか、本当の意味では変わることはできないと考えています。

しかし、現在の状況の中では、それではなかなか効果は出づらいかもしれません。私は、先生ではないですし、そんな状況を経験したことがないので、どうすればいいのかわかりません。そういった意味で、指導者としては、現場で先生方がどう行動していかれるのか、非常に学びになると感じています。

また、親としては、自分の息子に対して、どう伝えていくのか?どう見守っていくのか?を考えるきっかけになりました。息子に聞いたのは、「自分ができることは何か?」ということです。周りを変えるのは難しすぎますが、自分を変えることは、自分次第でできます。それは、大人でも同じこと…人は変えられないけど、自分はいつでも変えられるのです。


「ルールを守る」ことの本当に意味

学年だよりにあった、「学校に不要なものを持ってきている、体育の時間に体操服に着替えない、名札をつけない、授業の遅れてくる人がいる(時間を守らない)」ということは、何を意味しているのでしょうか?

「それくらいのこと、どうってことないでしょう!」と考えている方は、ぜひ考えていただきたいです。

これらに共通することは、「ルールを守らない」ということです。みなさんのお知り合いが、いつもいつも約束に遅れて参加してきたとします。それが平気な方となかよくしたい、つながりを大切にしたいと思われますか?

「ルールを守らない」人間が、なかなか相手を大切にすることは難しいのではないでしょうか?

スポーツに置き換えるとわかりやすいかもしれません。各スポーツに「ルール」があるのは、勝負を明確にするためもありますが、相手を大切にするためではないでしょうか?例えば、サッカーにおいて、ルールを破って平気で相手を蹴ってくる場合、相手を大切にしようという気持ちはほぼありませんよね?

「ルール」を守るには、自分をコントロールする力が必要になります。人間誰しも弱さがあり、「まあ、これくらいはいいよね?」と自分に甘えが出てしまって、ルールを守らないという経験は誰しもがあるのではないでしょうか?そして、1回ルールを破ると、だんだんとエスカレートしていくのが人間だと思います。ルールを破るのが平気になった状態から、ルールを守れるようになるには、大きなエネルギーが必要です。

そして、「ルールを守る」ためには、「このルールを自分は守る!」と、自分で決めないとできません。「自分で決めたことだから、やる!」と継続していくことで、少しずつ自分をコントロールする力が伸びていきます。逆にいうと、ルールを平気で破っていると、自分で決めたことをやり切る力は、ほとんどつきません。自分をコントロールできないのですから、何か自分によくない結果が起きたときは、「他責」…人のせいにしたり、何かのせいにしたりするのではないでしょうか?もしくは、落ち込んだり、何も感じなかったりするかもしれません。

つまり、「それくらいのこと…」どころではなく、かなりとんでもないことなのです。そういうところから崩れていくのが人間だと思います。


「学校」、「家庭」とは別のもう1つの「コミュニティー」の存在価値

今回のようなことは、どこでも起こる可能性があります。大人の世界でも同様だと思っています。

そういったときに、ポイントとなるのが、もう1つ別の「コミュニティー」に所属しているかどうか?ではないかと感じています。

私の息子もクラブに通わせていますが、その理由はサッカーではありません。本人たちは、「サッカーがしたい!」「サッカーが楽しい!」「うまくなりたい!」という気持ちで、クラブの活動を続けています。しかし、私は親としては、別の思いを持っています。

それは、「学校」、「家庭」とは別に、子どもが学びを得たり、なかまとのつながりを感じたりできる「コミュニティー」に所属させたいという思いです。「学校」での学びを生かしながら、「学校」とはちがうなかまとの関わりから、さらに学びを深めてほしいと考えています。

仮に学校でダラダラした雰囲気の中に身を置いていたとしても、うちのクラブではそれが許されない雰囲気がありますので、自分の行動を自分で変えることが必要になります。学校の「あたりまえ」とクラブの「あたりまえ」を比較しながら、自分はどう在りたいか?それを感じる、考えるきっかけになっています。

学校では「時間を守る」ことが要求されますが、うちのクラブでは「時間をつくる」ことが要求されます。自分たちがサッカーをする時間が少しでも長くするために、少しでも早く準備や後始末をすることが必要になります。また、なかまと協力して、できるだけ多くの活動時間を確保しようと行動することも必要になります。

学校での学びにプラスして、クラブで新たな価値観を学ぶことにつながります。

これがもし学校だけだと、学校でのことが「あたりまえ」になり、学校でのことがすべてになります。これでは、多くの気づきの機会や学びの機会を失っていたのではないかと感じています。

もし、うちのクラブが、社会の「あたりまえ」から、大きく外れるようなことを伝えてしまっているとしたら、それは子どもたちに悪影響を与えてしまったり、ねじ曲がった「あたりまえ」を学ばせたりしてしまったりしますので、しっかりとアンテナを張っていく必要があります。

自分軸が薄く、自分をコントロールする力が低い息子が、大崩れせず日々生活できているのは、学校での学びのおかげ、クラブの存在のおかげ、クラブのなかまのおかげです。ただし、勘違いしていただきたくないのは、「だから、うちのクラブにお子さまを通わせてください!!」ということが言いたいのではありません

みなさまにお伝えしたいのは、目の前の状況を親がどう受け取るか?でお子さまの人生に大きく影響を与えていくということです。この度「学年だより」書かれているようなことが起こっているのを、先生方のせいにしてしまえば、お子さまも人のせいにするような人間に育ってしまう可能性が高いです。

子どもは親の鏡である、これを忘れないように、親としてできることを、子どもと一緒に取り組んでいきたいと思いますし、子どもが成長するためには、私たち親が成長しないといけないことを忘れないようにしたいと思います。

学校生活の中で、子どもを見守っていくために大切な視点のまとめ

学校での子どもの姿は、家庭での関わりで生きていることや足りないことを映し出してくれます。私の息子もこれまでいろいろな課題があり、先生方からいろいろなヒントをいただきました。その度に、家庭での関わり方を見つめ直してきました。

クラブでの子どもの姿は、また学校での姿とは異なります。よいこともあれば、課題もあります。そこからも、家庭での息子との関わり方のヒントをいただいています。

息子のことで「よくないこと」を先生方から伝えていただいたとき、すごくありがたいな〜と感じています。もし、私に言っても息子は変わらないとか、私に伝えると受け止めてもらえないとなってしまえば、おそらく先生方から何も伝えてもらえなくなるでしょう…。

私と息子は血は繋がっていますが、別の人間だと意識しています。

いずれは、自分の人生を1人で歩んでいかないといけません。そこまでの限られた時間を一緒に成長していくなかまでもあり、子どもがつらいときや苦しいときはどんなことがあっても、受け止めてやらないといけないのが親です。
親だけでは、困ってしまったり、どうしていいかわからなくなってしまうから、いろいろな人の力を借りなければなりません。

そういった意味で、うちのクラブの存在もとても大切になるのではないかと感じています。子どもたちのため、それを支える保護者のために、私に何ができるか?しっかりと地に足をつけて進んでいきたいと思います。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

指導者としての自分、親としての自分から、感じたことを書きつづってみました。この記事が、誰かの役に立つことができれば、これ以上うれしいことはありません。